またひとつ、仕事が増えました。
外部に委託していた業務を「これからは社内でやろう」という話になり、気づけば私の机に着地です。
「え?わたしがやるの??」という間もなく、スッと決まるあの瞬間。
いやいや、そもそも社内に余裕がないから外に出していたんじゃないの?
・・とは口には出せません。
ため息が出る一方で、名刺の肩書はどんどん立派になっていきます。
せめて給料が上がるのなら・・まだ。
肩書ばかりインフレしていきます。
部下がほしい。
肩書=プレッシャー
肩書というのは、不思議なものです。
名刺に印字されるだけで、急に自分が「立派な人」になったような気がします。
資格とかだとわかりやすいですね。
専門家っていう感じも格好いいです。
まぁ、書ける資格なんてわたしは持ってませんが笑
でも現実は、肩書が増えれば増えるほど、責任がドーンとのしかかってくることになります。
例えば「マネージャー」と呼ばれると、経営層からは「数字をきっちりコントロールしてくれ」と期待され、現場からは「もっと人の気持ちをわかってください」と迫られるわけで。
経営と現場の「通訳」のような役割を求められながら、同時に「雑務処理係」も兼任するという不思議な立ち位置です。
中間管理職は上と下の板挟み、というのもよーくわかりますよ。
身に染みます。
結果として、会議では偉そうに肩書を紹介されつつ、会議室を出た途端にプリンターの紙詰まりを直している。仕事の幅、広くない?となんか笑えてきます。
「肩書は立派なのに、仕事は便利屋」
そんなギャップを味わったことのある人は少なくないのではないでしょうか。

言い換える
管理職といっても、部下がいない私の場合、日常的に求められるのは上層部への説明です。
ここで大切なのは「どう言い換えるか」。昔、上司から学んだことのひとつです。
たとえば「現場が疲弊しています」とそのまま伝えると、ネガティブに響きます。
しかし「現場の処理スピードが限界に近づいているので、優先順位を整理したい」と言い換えるとどうでしょう。
言葉を少し変えるだけで、「不満」から「改善提案」へと聞こえ方が変わります。
同じように。
「人手が足りません」 → 「現行体制では○件以上は処理しきれない見込みです」
「もう無理です」 → 「持続可能にするためには、次の施策が必要です」
上に立つ人ほど、問題の「感情」よりも「数字や提案」で聞きたいもの。
ただの愚痴に見えるのか、前向きな提案に映るのかは、言葉選びひとつで大きく変わります。
もちろん、本音では「もう少し労ってくれてもいいよなあ」と思うことも多々あります。
けれど「ため息」を「次のアクション」に翻訳することも、管理職の大事な役割なんですよね。
まとめ
名刺に肩書が増えるたびに、一瞬は嬉しくなります。
ほんとにチラッとだけ。
でも実際には、責任や業務が増えるばかりで、給料も上げてー!と叫びたい感じです。
本音では肩書よりも部下がほしいです。
ひとりいるだけで全然違いますからね。
けれど、今の立場だからこそ学べること、見える景色があるのも事実です。
肩書はインフレしても、気持ちまでインフレしないように。
今日も名刺を見ながら「見合うような仕事をしていこう」と思う次第です。
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